いま、なにを、感じている?
何かを『わかる』前に、“出会っていた”ということが、ある。
海外で注目を集める、
繕っては着て、また、繕っては着てをくり返した衣服。
野良着や、農民、あるいは貧しい人々が羽織った着物や羽織りもの。
工業が起こる前、穴が空いても、破れてしまっても、
捨てない。
「もったいない」という思いから、
当て布を重ね、刺し子で補強し、
修繕を重ねて、極限まで捨てずに大切に使い続ける。
その末に、こんなふうにぼろぼろの姿になった衣服。
父はこの衣服をとても気に入り、仕事場に飾っていた。
その当時の私には、良さはほとんどわからなかった。
なんとなく、気になる程度。
でも、
「着る」「スタイル」について学び、考えはじめた。
「着る」ということや「着るもの」への考えが深まって言った。
それにつれて、
この衣服に対する感覚ががらがらと変化していった。
なんとなく気になる存在だったものが、
はっきりと意識に引っかかるようになった。
それを美しいとすら感じるようになった。
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これを父が手に入れてから、少なくとも20年は経つだろう。
かなり埃をかぶっている。
虫だってきっと棲んでいる。
それを思うと、このまま着たいとは思えない。
正直いうとね。
着るなら洗いたい。
けれど、
洗えば風合いは変わり、最悪の場合バラバラになってしまうかもしれない。
その代わりに、こういった衣服へのアンテナが立つようになった。
その代わりに、
「リアルに」着られる、
こうした衣服を手に入れたくなった。
褞袍(どてら)
骨董・年代不詳