親子ということ。

富山県がやっているライブストリーム「燕の雛が巣立つまで」。

今日のお昼覗いてみたら、3匹になっていた!
5個の卵が孵り、5匹の雛がみんな、無事に育って、産毛も殆ど取れ、からだがぐっと細長くなり、羽根の感じがつるっとした。巣の縁につかまって羽をばたつかせて、飛ぶ練習をしているようにみえることも結構あり、知識無しに見ていても、もう時間の問題なんだろうなあと想っていたら、やはりやはり。少し前までは、ちょっとストリームを覗く程度でも親が餌を持ってくるのに出くわしたけれど、今日は親の姿を見ない。先に巣立った子ども達にエサの取り方とか教えているのだろうか。それとも、餌をやらずに3匹に巣立ちを促しているのか。

 

鳥やら虫やら子どもを何匹ももうけるのは、子孫を絶やさないため、1匹でも多く子どもが生き残るためだというけれど、この巣ではみんな元気に育つことが出来た。たまにしか覗いていないので、観察者が落ちた雛を助けたりすることがなかったかどうかはわからないが、とにかくみんなとても元気。
1ヶ月も経たないうちに、雛たちは青年になった。人間からするとずいぶん短い時間でこんなに成長を遂げるんだなあ。この間、親はたまごを温めつづけ、うんちを運びつづけ、えさを運びつづけ、毎日毎分の休みなくの働き。燕も、犬猫も、人間も、親はそうなんだなあ。生物として、あたりまえのことだけれど、ほんとうに尊い働き。
これをみていて、自分が子どもを得たら、ちゃんと世話できるんだろうか、無理なんじゃないかということをよく想い浮かべていたことがあった。でも、自分の子どもってきっとものすごく違うんだ。突然、はっと目が覚めた気がした。キツい時もあるだろう。そうだとしても、他のこととはきっと違うのだろう。生きものの生きものとして備わった本能は、頭で考えることより強くて深い。

親としての実体験がない私。子どもとして、親との関わりや親から受け継いだものにあれこれ悩んだこともあった。でも、そういう強くて深い力は、頭で想うことや感情的なことの外側で我々をしっかりと支えている。だからやっぱり、大きく、心配することはないんだなぁ。

 

よかったら、7月2日ご一緒しましょう。
https://www.facebook.com/events/138714886667352/?ti=cl