NYドライカット。出会ったのはどういう経緯だったか相当朧気だが、いま、ものすごく生活に定着している髪の毛の手入れ法。
髪のことといえば、十代の終わり頃、ソバージュを通り越してカーリー?にしだした。黒くまっすぐな髪が嫌でたまらなかったのだ。美容院に行くと最低5時間は座っていないと完成しないヘアスタイルばかり。5時間以上座っていてもパーマのかかりの悪い部分が出る時もあるくらいで、それほどに強い髪なのがほんとうに嫌だった。クリクリの髪にしたのは、ブラックミュージックにカブレていたからだが、生まれて以来、肩甲骨以上に髪を短く短くしたことがなくて、切るのは無理だと思っていた。長いままでクリクリにしたくて、そのせいで余計に時間も労力もかかる。腰近くほどまである髪を全部根本からロットを巻くのだから、美容師さんが何人もよってたかってくださり、巻き上がった頭はロットの山だった。ロットを外すのも洗うのも乾かすのもいちいち時間がかかる。美容師さんも相当たいへんだったろうが、やりきった感も相当だった雰囲気だった。丸山さん?とおっしゃったか。今どうしておられるだろう・・
何かのきっかけで、今度は素の髪のままで、色を変えるのに凝りだした。パーマもカラーも、とタブルでやるのはお金も時間もたいへんだと思って、そのままの自分をぶち壊したい感は満載なのにその辺はヘタレなのか?一種類を突き詰めるみたいな感覚で、赤くしたり黄色くしたりしていた。脱色をしてカラーすれば一発で色が変わるが、脱色はいちばん髪を痛めるといわれたような‥
やっぱりまっかっか、まっきっきにするほどは徹底的になりきれず。脱色せずにもっと赤く、黄色くなればいいのに‥と思っていた。とはいえ、当時の写真をたまに見つけるとものすごく黄色くて驚く。美輪明宏様のような黄色ではないが、かなりなもので、ほぼヤンキーだ。元ヤンか。服装がヤンキーではないから、なんだか不思議なみため。
あの頃は相当もがいていたな。内心はいつもほんとうに必死だったな。それを色でカモフラージュしていたような気もする。
そんなことを繰り返してきて、10年ほど前バッサリと短く切った。引っ越しがきっかけだった。それからの話はまたの次の機会に書こうと思う。
こうしてみると、髪というのはやっぱり「命」なのかもしれないな。