10年ほど前、実家を出て名古屋に引っ越したのを期にバッサリと髪を短く切った。
引っ越しと言っても、親の了解も得ず、予告もせずの、考えてみれば暴挙だ。大学卒業後に戻ってから、ずっとずっと実家を出たいと思っていた。そう思い続けながらもなんとか踏みとどまっていたものの、父の気の済むようにやり続けられるほど真面目でも従順でもなく、要領よい訳でもなく、達観している訳でもなく、もうそこに費やす根気も出てこなくなった。もっと本当の自分ってものがある、一旦そんなことに気がついてしまうともうそれを心の奥に閉まっておくことなんてできなかった。後ろ指差されたっていい、誰に迷惑かけたとしても親に恨まれたとしてももうしょうがない、あれやこれや考えて我慢する体力も底をついてきたし、逆にいえば、自分はこうだ、という部分がぐぐぐと亢進してきていたとも言えるが、もうあのまま実家にいつづけることはできなかった。あれは私の、ようやく訪れた正真正銘の巣立ちだったのかもしれない。
で、引っ越しして後、突然髪をバッサリ切った。名古屋にきてから、住み処にほど近い美容院に行きだしたが、そこで担当してもらうことになったのは男性で、それも初体験。彼は、パーマよりカットがおもしろく感じ、追及しているとか。彼にバッサリやってもらったんだっけ。後々まで、あんなに長かったのに、バッサリ切らせてもらうことになってドキドキしたとよく言っておられた。
その時まで、肩につくか被るかくらいまでしか短くしたためしがなかった。襟足で髪を束ねられなくなるほど切ったことがなかったのだ。襟足で髪を握ることができることに、安心感を得ていたように思う。
3歳から母の意向でバレエを習っていて、そこそこ成長すると髪を結うのも自分でという方針がその教室にはあった覚えがある。躾に厳しい教室だった。バレリーナ御用達の「おぐる」をきれいに結うためにはワンレンの長いのがいちばん楽だった。そんな訳で、「楽だから」を通り越して、長いのが当たり前、おでこ全開も当たり前になっていた。そんなことは今の今まで思ったこともないが、そうしているうちに、長いのが当たり前を通り越して、もはや、長い髪が自分の一部になっていったんじゃないか。そんなことに思い巡らせていると、長い髪を襟足で束ねてつかめるあの安心感は、母の存在感だったのかもしれない。父からも女は髪は長くなくちゃいけないといわれてきた。そんなことも合間って、長い髪でいることに囚われつつ、安住もしてきたけれども、襟足で束ねられないほどに短くバッサリやる衝動に駈られたのは、そこから旅立つときが来たということなんじゃないか。囚われでも安住でもあるそれまでの自分から。