夜中にぼんやりテレビを見ていたら、或る人がどん底のときのことを話していた。離婚をしてすべてを失くして、もう死にたいと思っていたとき、出掛けるのもいやなのにこのコンサートいっていってみろよと知人に言われ、どうしてだか足が向いたのだそうだ。そこで、ベートーベンの「悲愴」を聴くことになった。そこで、落ちに落ちた自分の内面と「悲愴」が響きあったのだと。ホントに俺は今、底の底なんだ‥と感じたら、なんだか知らないけど立ち直って来たのだとその人は話していた。
私の目の前でもう死にたい、死にます、と言ったある自殺願望の女の子がいた。お客さま的な位置づけで、家業の医院に逗留していた人だった。深い付き合いもなかったにも拘らず、無性に腹が立ってたまらなくなり、「だったら表へ出ろ、そこで死んでみろ」と言い放った。なぜ表へ出ろ、だったのかわからないが、臆病で今より八方美人でしか生きられなかった私の性格からすればかなり異色の言動だ。
そしてその子は死ななかった。その後しばらく付き合いがあった。今どうしているだろうか。
醜くで痒くて痛いおできのような、私にとっては心底いやでいやで堪らないのに、ついつい気になってしまう人がいた。嫌でたまらないけれど、会わない関わらないでいることはどうしてもできず、それなら自分が変わるしかないと思った。気持ちを楽にしたくて、その人のことを悪く思わなくて済むように必死に自分の心にアプローチした。甲斐あって感じ方は変化していった。自分の目から見ると、その人はどんどんおかしくなっていっているように見えてならなかったのだが、それでも、それを理解しよう受け入れようとしている自分がいた。
ところが、この頃、その人のことをぐーっと考えることが減ったような気がするのだ。驚いたことに。
カンカンに入っていた頭の力が抜けたような・・
そうなったら、夫の前で散々その人の悪口を言う。いい人をやって来た自分が誰かの悪口を言い散らすなんて時が来るなんてすごいことだ。悪口はいけない、誰かのことをいやだと思うなら、その自分の心の方を変えろ、と思いつめて信じ抜いて努力して来たが、こういうことにも限界があったのか?
友達の前でも悪口を言う。
ホントだよ、けしからんわ。
私は本当に杓子定規で、カタブツだったんだな。
別の友達は、
悪口言えるあなたのがこっちも楽だよ、だって。