今度の催しのテーマ「親子について」。日々「親子について」ということは思い浮かぶ。
或る方がSNSにご病気のお父様とのことを書いておられた。とても興味深く読ませていただいた。
その方は、感情をできる限り交えず、事実のみを書いていく、と最初に記してあり、そのことにとても共感した。
肉親のことは、肯定的であれ否定的であれ、どうしても情的なものは入りやすいし、自分自身のモノの観方のクセは強く反映しやすい。そういったものがどうしても入ることは否めないとは思うが、それでも、「できる限り事実のみを‥」と宣言することで幾らかでも抑制が入るのは確かなことだろうと思う。
私もその方に倣い、父の具合が目に見えて大きく変化し、入院し、亡くなるまでのあの色々とギリギリだった時間のことを、事実を思い出しながら、冷静に記しておこうと思った。
父が亡くなる1年近く前、目に見えてよくない浮腫が出はじめた。医療を極度に嫌がるので、できる限りの策が投薬だった。が、それも大した効きめが見えず、浮腫の辛さのせいだろう、医療を拒否する勢いが控えめになったこともあり、私の一存で救急で運んでもらった。その時、体内の状態は既に、悪くすれば1週間、もって数ヶ月、うまくいけば一年という診断だった。3ヶ月の間に2回転院をし、最後お世話になったのは大病院の循環器内科だった。年かさの医師と若手の医師数人のチームが担当することになった。
現役の時から、父は自分は不整脈なんだとよく言っていた。ハイリスクのお産がある時など根を詰めた時はなんども自分で脈をチェックしていた。最後の転院前は脈は下がっても30程だったのだが、頻繁に20近くに落ちるようになって大病院に運ばれることになった。運ばれてすぐ脈拍をあげる薬を入れるかどうかを判断して欲しいと言われた。その時、使わないという選択は私にはとてもできなかった。
「自然なお産の第一人者」と評価していただいていた父だった。父の医院や講演を手伝っていて、門前の小僧となったのだが、「自然はお産」は、産婦さんご本人の意志と意識、気持ちと日々の暮らし方あってのことだ。また、ご家族のご理解と応援も不可欠なものだ。そして、賛否両論あるだろうし、そういった領域を超越した境地の方もおられるかとは思うが、父が取り組んできた現代においての自然なお産とは、医療者の非常に行き届いた管理あってこそ成されうるものだと私は理解している。
父がどれだけ現代医療のあり方を批判してきたからといっても、医師として医療を丁寧に誠心誠意行ってきた。そういう父だからこそ、生命の際に差しかかったその時には、一度は医療のお世話になっていいのじゃないかという想いが起こった。一度その薬を入れると、止め時が難しいと言われ、止め時を決断する人間は自分以外いないのだと覚悟した。
今日は無事だった今日は無事だったと一日一日を過ごすのに必死だったせいか、父に1日でも長く生きて欲しいと切に願う、というような想いは私の心にはなかった。情の薄い人間なのかもしれない。
何をおいても、一日も早く病院から出て心安らかに過ごせる場所へ、その事だけにコミットメントしていたが、退院時の在宅医療への切り替えに関して設けられた医師達との相談の席、それが脈拍をあげる薬をいつ止めるかを選択する時だった。その薬を「止めてください」と口にするのは簡単ではなかった。一人の女性医師が、「お父様もこれ以上は望んでおられないと思います・・」と静かに言った。私はその人のその言葉にすがりついたのだと思う。やっと「止めてください」と言った。何人かの医師がいる中であのような言葉を口にするのは、大病院の医師としてどんなことなのだろうか。難しいことなのだろうか。
現代医療を批判する言葉を何千回口にしてきたか分からない父は、自分自身に対しては、歯痛が起ればすかさず抗生物質を飲み、頭痛がでればセデスを飲んでいた。爪を切ってくれと言われ、爪切りを指先に近づけただけで、痛い!と怒鳴ることもしばしば。痛みにあまりにも敏感だった父。
「儂を病院なんかに運んでみろ、末代まで祟ってやる!」と私にもスタッフ全員にもきつく言い聞かせていた。受付のカルテ棚に父の直筆で、絶対に病院に運ぶな!といった類いの文言を書いた紙が貼ってあった。
8年前、私は一度本気で父と縁を切ったことがある。うちは一人っ子な上、母が先に亡くなっていたので、父が倒れた時は親族がそばにいなかった。「末代まで祟って‥」しばしばそんなことを聞かせられていたら、父が倒れた時に救急車を呼ぶと誰もが決断できなくて仕方がない。万一その時に病院に運ばれていたとして、よかったのかわかったものではないし、逆に、よかったのかもしれないが、その大病院の別の医師には、お父様はまだ若い、もう少し早い段階なら、ペースメーカーを入れるという選択もあった‥と言われた。あの父とペースメーカー‥全くしっくりしないが、30年余の間、父の家の掃除に来てくれている父と同い年ご婦人は、今春ペースメーカーを入れて、溌剌と今も働いておられる。
もし過去に戻れたとして、別の選択をしたとして、もっといい結果になったとも思えないような、いい結果となったのかもしれないとも。多くの人々に、そして、私にも大きく影響を与えたあの父が亡くなってまだ一年、されど一年。父に対する観方は変化する。
私の心に多くの種、ネタを植えつけた父。あの父の子でよかったと思える私は幸せなのだ。