開催の4日程前から企画のための展示用の書描の制作にはいった。
今回はなかなか定まらず、他の展示作品、花作家の作品展示に取り組むうち、
この一年、折に触れ私の頭のなかに響いてくる父の言葉がまた聞こえた気がした。
この企画の根幹となるであろう作品になるはずだ。
お客様をお迎えして、一番最初に目にしていただく作品になる。
展示しようとしている土間のスペースの、地面から梁までは3m60ほど。
4mほどフィルムを広げ、意を決して踏み込んだ。
「お前の好きなやうにせよ。」
「ように」ではなくて「やうに」というのがあまりにもあの父にはしっくりくるのだ。
旧い仮名づかいでは「ya-u」と書いて「yo-u」と読んでいたと学んだ。
時に殿様のようで、時に古武士のようで、時に幼児のようで、時に劇画チックで芝居がかっていたあの父の口から出てきていたのは、絶対に「やうに」だったが、その「感じ」が私を育んだし、そう育まれたことを私は今よかったと感じている。
現代の人の死は、残されたもの、特に遺族に次から次へと選択を迫る。
死を悼む、故人を偲ぶ暇を与えない。
その大波小波のなかで、繰り返し浮かぶ言葉がある。
「こんな時にそんな言い方しなくても‥」 あの頃、私はいつもそう思っていた。
いらっとして吐き捨てるような素振りか、我関せずとばかりの涼しい顔でその言葉を父は言ってきた。
父が亡くなって半年ほど経った頃か、その言葉を「わしはお前のことがいちばん大事なんだからな」と頭のなかで自動翻訳している自分に気づいた。そのときの父はとてもニュートラルな雰囲気で、思えば、私が心底何よりも父に望んでいた父親のありようだった。
お産や医療や世の中に父がとられてしまった、そんな不遇感が私にはあった。 それらがいつ私の心に刻まれたのかはわからない。いちばん愛してほしかった人にはいちばんそばにいて欲しいときにいなくなるものだという信念、外の人は大切にされるのがふつう、母や私は我慢するのが家族としてのつとめ、そんな固い観念。 そういった思考回路はまるで、俺のおかげでお前は生きてるんだぞ、とでも言っているような顔で私の人生に居座っていた。
父母を見送り、最近五十歳を迎えた。
第二の人生、0歳の気分だ。
今、小気味よく、おもしろく、心地よく、その言葉が聞こえてくる。
:作品キャプションより