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映画「玄牝」という痛み。産科医 吉村正の娘としての痛み。②

引き続き、掘り下げつつ、できる限り本心を書いていきたいと思います。

 

◇ ◆ ◇

 

私はこの映画がこの世から無くなって欲しいと思っている。

この映画は痛い。未だに。膿んで治らない傷のようだ。

映画の中でなじる私に父が放った言葉、「今更しょうがないじゃないか」。

そんな風に流していかなければ、いなしていかなければ、ならないのだろうか。

 

この作品に触れて、人間の本性とは何か、生きることとは何か、根源的なテーマを考えるきっかけになった方々もおられるだろう。気づきがあり、その喜びがあり、その結果幸せがあるのならば、周りの方にこの映画を共有したいと思われるのも無理のないことだろう。

また、「自然なお産」というものを世に知らしめ、お産を控える人びとへの教育となるものとお考えの方もいらっしゃるだろうか。

 

 

私はこの映画に一部出ることになり、胸がえぐられる体験をした。絶対に見てやるものかと思っていた。時間が経って上映会に出かける縁が数度あり、その場を体感し、観客のひとりとして映画を観た。私達親子の場面を全て直視することはできなかった。

そして、純粋な上映会ではない、お祭り・フェス的なイベントのようにも思える上映会イベントがなされていることを知った。それらの体験の全てが合間って、簡単には解決のできない重いテーマが次々と自分の中に積み上がった。

 

 

人間として、自分や家族について、人生について、とことんまで掘り下げざるを得ないところに追い込まれるという経験を与えられたことは全くありがたいことだ。痛みや苦悩を乗り越え、自分の足で立ち上がっていくという貴重な体験を与えられたのだ。

 

この10年近くの間に、理解したい、肯定的でありたい、乗り越えたい、などと心から願い、そうあることが人としての成長だと信じて努力してきた。これはこういうものだという固定された観念を外していく。自分がほんとうは何を感じ、考え、何を望んでいるのか、自分自身と真っ向から向き合い、果敢に挑んでいくということを通して。

いかにもいたたまれないあの撮影の日からこちら、私の心はいかにもポジティブな方向へ変化した時期があった。達観したような気持ちがし、それまで受け入れ難かったことがだんだんと受け入れられるようにもなった。許せなかった人や出来事に意味を見出し、感謝を感じ、感謝を表現することができるようになった。父のところに行く上で、嫌な気持ち、痛み、疑問を抱えながら無理に足を向ける気持ちがだんだんと鎮まり、父と相対する貴重な時間として前向きに捉えられるようにもなっていった。

映画についても、捉え方は変化した。私がどんなに嫌だっだからといって、生まれた映画そのものには罪はないと思えるようになった。映画に触れることで、閉じ込めてきた想いに気づくことができた方や、少しでも前進できる気持ちになった方・・私自身何人かの方から直接そういったお声を聞かせていただいた。それは、ほんとうによかった、と心から思った。私の中で、すべてが解決したように思えた。

 

 

一昨年くらいからだろうか、夫から何度か「本当に映画のことはもうだいじょうぶなのか」と言われることが重なった。そう言われると、心の奥で気持ちがざわついた。「もうだいじょうぶだって言ってるじゃないの!」などと言い返したくなる。実際、言い返したこともあった。そうやって気持ちが少しでもざわつくということは、そのことが私の中で真に解決できてはいない証拠だ。

あの頃の気持ちの変化は、思い込みやポーズなどでは全くなく、心底感謝を感じることができた。でも、時が経ち、ある時点から、感謝の表現という「形」に重きが置かれつつあったのを夫は感じとってくれていたのだろう。心底からの感謝だったものが、いつしか、感謝の表現という「形」に偏重しつつあったことを私自身気づかないようにしていたようにも思い出すことができる。それは結局、事なかれ主義でしかないのだと今は思う。

 

痛み、苦しみ、問題に対して多面的に捉えられるように自分の精神にアプローチしていくことはとても素晴らしいことだ。苦悩の種となるような出来事や誰かの振る舞いでも、全く違う角度から捉えられるようになることもある。時には、積極的に肯定できる、肯定したいとまで思えることさえある。すべては、立場や見方、捉え方によって良くも悪くもどのようにでも見ることができるのだということを学ばさせられる。そして、この世界の味わいが深くなる。

 

この道のりを経験したことは私にとってかけがえのない経験となった。しかし、胸の奥にちろちろと熾火のように見え隠れするこの消しきれないものは、自分の心へにアプローチするのみではもう太刀打ちできないようだ。嫌なものは嫌だ!と言い、やめてほしければやめて!とはっきり表明するしかない、そういう時というものはあるのだと気付かされる。

 

 

私はこの映画がこの世からなくなって欲しいと思っている。

映画が完成する以前、出演部分をカットしてほしいだとか私は表立っては表明しなかったのだから、この痛みは自分の弱さの結果なのであって、それは嫌でも引き受けなくてはならないことのなのだろう。

この映画に肯定的になれないこの私も、深く考える機会を提供してくれる映画であることは認める。なればこそ、純粋な上映会であって欲しいと思う。見る人それぞれが、それぞれの自由闊達な感性を働かせながら見、考えることができる映画なのだから。

 

 

イベント化された上映会はどうしても受け入れがたい。

それらが父の考えややってきたことと似ているように見えたり、父が勧めたように思われていたりするのかもしれないが、どなたであれ様々な先生方講師方の講演、色々な考え方や手法の紹介などとこの映画とを抱き合わせて、イベント化なさることはやめていただきたいと私は思っている。それは、父のやってきたことを、ある方向に方向付けをする危険を孕む。見る側の自由な見方捉え方を妨げる恐れがある。

また、自らのかけがえない人生の一部をこの映画に差し出した人びとがいる。父や私もそうだが、様々な事情の何組もの妊産婦さん方、当時の吉村医院スタッフの方々も出演している。映画の撮影が終わった後も続いている、そういう人間のリアルな日常があるのだ。

この映画はドキュメンタリーだと言われるが、ノンフィクションと言い切れるのだろうか。人びとのリアルな人生を「素材」としてはいても、河瀬監督独自の感性・視点で独自に撮影編集し作りあげた「創作作品」だ。ドキュメンタリーというものはノンフィクションになる得るのか疑問がある。そのことはまた改めて言葉に表現してみたいが、

何はともあれ、一旦差し出したのだから今更どう使われようが文句を言うな、ということなのかもしれない。

そう言われたら怖いなとビクつく私だ。でも、今更?であろうが、もう忘れておしまいなさいよと言われようが、負け犬の遠吠えと思われてもしょうがない。

言葉にできるときに言葉にしておかなければ、自分自身が後悔する。卑怯だと思う。

 

 

この文章をお一人でも心の底で受け取ってくださる方がおられるなら、

心から幸いなことと思う。