実家の片付けをしています。
片付けに夢中になっていると視線は片付けの対象にばかり向きがちになってしまいます。
ふと、目線を移した先に庭の梅の木が。
梅の花が咲いていました。
気がつかなかっただけで、本当はもう何日か前には咲いていたとおぼしき開き方。
毎年こんな早く咲いていたしら。
一足早い気がします。
実家の家には余りいい想い出がありません。
私にとって「うち」と呼べるのは3歳から15年近く住んだ前の実家。
間仕切りが殆どない平屋一戸建てでした。寝る部屋とお風呂と台所とトイレ以外の6畳×3くらいのスペースを一部屋のようにしていました。
いろんな人が遊びに来て、飲みに来て、父も母も気楽にお客さんを迎え入れる雰囲気でした。プライベートな部屋は寝床くらいでしたか。
彼らもまだ若かったからということはあるのかもしれません。
南向きに大きな吐き出し窓がありました。日当たりがよくて汚れが目立ちやすく、窓ふきが難しかったのを思い出します。庭にはひよどりやメジロがよく来ていました。うちの中に入れてくれと掃き出し窓をカリカリとガラスを引っ掻いていたダックスフントの顔が逆光でいっそう必死に見えて可愛かった。十代らしくないですが、この日だまりと太陽の匂いのするこの場所より他に何を望むんだ?というような気持ちがありました。幸せだった証拠ですね。父も母も元気で、猪突猛進型の父のやることを母がしょうがないわねえと支える、見た目に仲がすごくよいとかでなくても、「家」らしい雰囲気がありました。
18歳くらいの頃、お隣が引っ越されることになると、父がおじいちゃんが売った敷地を取り返すんだとやけにこだわり、その隣の家に居を移すことになりました。母も私も賛成ではなかったものの、父がそんなに言うなら拒否することもないかと。
とはいえ、もともと他県の大学志望の私は、引っ越し後すぐ、殆ど逃げるように大学進学を口実にして引越ししてしまったし、その後、母も脳出血で倒れうまくリカバリーできぬまま、15年ほど前その家で亡くなりました。
引越し後、父も何度も倒れました。その家のせいとか、そういう話しではありません。父の「物」にこだわりすぎる性格、情熱的すぎる生活が自分の体に障るほどだった、というとこだと思っています。
母が他界してからは、私は本当にいたたまれなくて、結婚せずに家を出ることは許さんも言われていましたが、いたたまれず、無理やり引越しをしました。
母が亡くなり独り暮らしになってしまって、父は寂しかったのでしょう。仕事で岡崎に戻っても、その家は父と或る方との二人の愛の巣‥とでもいうような雰囲気で、ただいまーと気安く訪れることのできる場所ではもはやなくなっていました。
それでも、庭は、誰かの何かの雰囲気に染められることなく、いつも爽やかで、鳥たちは訪れるし、季節が来れば芽吹き、花咲き、紅葉します。
父もいなくなってしまって、でも、こうして変わらず、可憐で力強い梅の花が咲いてくれる。
「夏草や つわものどもがゆめのあと」
季節は違う俳句ですが、人のあれやこれやに頓着などない植物たちは粛々と自分自身の生命に忠実です。