<1月29日加筆>
この記事、実はタイトルに相当迷ってこんな風につけていました。
<旧石原家住宅 特別公開企画「親子について」④「自分自身にとっての『この上なさ』」>
時が経つほど、わけわからん感じが増してきたので、こちらに変更しました。
毎秋、一般の方に無料で旧石原家住宅の建物内をご覧いただける建物特別公開企画を催しています。
2018年のこの企画では、共にこの家の所有者であった父が亡くなった後ということもあり、「親子について」というテーマといたしました。
こちらはその企画のメインとなる空間演出展示、
「『血脈』に寄せて」。
中央の大きな枝の作品「血脈」は、石原邸とも私達親子ともお付き合いの深い花作家 森直子さんの作品。
北海道の山で見つけた大きな枝を、持ち帰って汚れや腐った皮など丁寧にきれいに取り除いていくうち、まるで骨のようにも見え、また、親族家族の血脈を表しているようにも見えてきたのだそうです。制作当時は赤い実のついた蔓を巻きつけた形が完成の姿でしたが、今回、すべて取り払って展示することとなりました。
父が亡くなる少し前に、彼女もお父様を送られていて、それ以外にも大きな変化をいくつも経験されていました。そうして越えてきてみると、蔓の装飾も全く不要に感じたとのこと。
他の展示とのバランスもあって、まず最初に「血脈」を天井から吊り下げておきたく、展示についての打ち合わせのやり取りをしました。彼女の到着までにはまだ時間がありました。「血脈」が愛知に来るのは2度目(2017年7月に名古屋で企画展をした時もメインの作品に)。蔓の実がだいぶ落ちていたので、蔓はこのままでよいかを確認してみると、全部取って欲しいとのこと。
自分の作品ではないものの、彼女のそのご指示に心底頷きながら、蔓を取り外させてもらっていくと、短い一本の蔓だけどうしても取れない。私がハサミまで持ち出して切り取るのは違うと思い、そのまま夫と二人で展示を始めました。
到着後、彼女はその一本の蔓以外すべて取れてほぼ枝のみとなった「血脈」を見て、彼女は満足されているように見えました。
唯一のその一本をブチッと取り外し、
「もう要らないんだぁ」
感慨深げに発しておられました。
彼女にとって、大きな一つの時代の幕を閉じた、そんな感覚がしました。
この作品を、仏間の中心に浮かんだように展示したいというアイデアがこの「親子について」の企画の始点でした。
「血脈」を仏間の真ん中に「鎮座」いただいたところから、この企画の演出と展示の同時作業が本格始動しました。
私は、「省エネ」が好きです。「労少なくして、功多し」・・この格言がこの表現で正しかったか自信ありませんが、これがモットーです。出来るだけエネルギーをかけずに、最大限の効果を目指したいと思っています。
こういった考えは怠け者の考え方に見えるかもしれませんが、人生の時間は限られている。家族の時間も大切にしたい。作ることばかりが全てではない。そして、作るならいいものを作りたい。
私は欲張りなのですね。
この企画に向けて、いろいろなイメージが広がり、あんな風にしよう、こんな風にしようとうずうずしていた私だったのですが、前の週に寝込んでしまいました。
企画展を催す際、作品を作り溜めていくのでなく、制作も空間演出も短期間にどどどどと創り上げていく私には、開催前の10日ほどは最もあれこれやりたい時。でも、熱で体が動かず、考えていたようにはいかなくなりました。
体を動かせなかった代わりに、この企画の本質をさらにさらに深く掘り下げることができました。
「"ここ"という点に向けて肉迫していく」
まさに、今回の企画はそういう感覚でした。
「創る」ということをさせていただく者の大いなる幸せですね。
時間、お金、人の手、様々なエネルギー・・かければかける程、素晴らしいものができるでしょう。もちろんそれは、創り出す人の情熱、創造性あってこそです。
父の背中を見てきたからでしょうか。私は反対側を行きたい。
100均のものやホームセンターの商品、手作りではない工業的な製品、廃品を使う事もあります。
制作にむけて、生命力だとか自然だとかに無縁に見えるような材料が持つすっきり感、「無い」という感覚を心地よく感じます。
それなのに、ついやり過ぎてしまいがちになる私です。
そんな時、祖父や父の血が騒いでいるのを体の中に感じますね。
それはそれのよさがあるのですが、
常日頃、「力を抜く」ということを思い出させてくれる人と結婚したことも、私がこれからはそちらで生きて行きたいと心底望んでいる証拠ではないかしらと思っています。
前半と後半、全く違うことを書いているように見えるかもしれません・・自分では繋がりを感じておりまして、ごめんなさい、今日はいつも以上にわがままな投稿でした。
「『血脈』に寄せて」についてのお話はまた是非次回も。