思索。
思索。 · 20日 12月 2018
11月の催し「親子について」の写真をこちらで公開しています。 ・・・国登録有形文化財建物特別公開 文化財の音景vol.4「親子について」スペシャルページ この企画でご一緒した花作家の森直子さん。企画の三日ほど前から彼女と共に制作をするなかで、「優しい人たちに囲まれて生きる。」そんな言葉がよく直子さんの口から出た。...
思索。 · 27日 5月 2018
花屋で芍薬をよく見る季節が来た。花びらが多くて思いきり華やかに開くものと花びらが少なくておしべの多いものがあるので、お店の人に確認して、花びらの多い品種を選ぶ。...
思索。 · 27日 5月 2018
夜中にぼんやりテレビを見ていたら、或る人がどん底のときのことを話していた。離婚をしてすべてを失くして、もう死にたいと思っていたとき、出掛けるのもいやなのにこのコンサートいっていってみろよと知人に言われ、どうしてだか足が向いたのだそうだ。そこで、ベートーベンの「悲愴」を聴くことになった。そこで、落ちに落ちた自分の内面と「悲愴」が響きあったのだと。ホントに俺は今、底の底なんだ‥と感じたら、なんだか知らないけど立ち直って来たのだとその人は話していた。 私の目の前でもう死にたい、死にます、と言ったある自殺願望の女の子がいた。お客さま的な位置づけで、家業の医院に逗留していた人だった。深い付き合いもなかったにも拘らず、無性に腹が立ってたまらなくなり、「だったら表へ出ろ、そこで死んでみろ」と言い放った。なぜ表へ出ろ、だったのかわからないが、臆病で今より八方美人でしか生きられなかった私の性格からすればかなり異色の言動だ。 そしてその子は死ななかった。その後しばらく付き合いがあった。今どうしているだろうか。 醜くで痒くて痛いおできのような、私にとっては心底いやでいやで堪らないのに、ついつい気になってしまう人がいた。嫌でたまらないけれど、会わない関わらないでいることはどうしてもできず、それなら自分が変わるしかないと思った。気持ちを楽にしたくて、その人のことを悪く思わなくて済むように必死に自分の心にアプローチした。甲斐あって感じ方は変化していった。自分の目から見ると、その人はどんどんおかしくなっていっているように見えてならなかったのだが、それでも、それを理解しよう受け入れようとしている自分がいた。 ところが、この頃、その人のことをぐーっと考えることが減ったような気がするのだ。驚いたことに。 カンカンに入っていた頭の力が抜けたような・・ そうなったら、夫の前で散々その人の悪口を言う。いい人をやって来た自分が誰かの悪口を言い散らすなんて時が来るなんてすごいことだ。悪口はいけない、誰かのことをいやだと思うなら、その自分の心の方を変えろ、と思いつめて信じ抜いて努力して来たが、こういうことにも限界があったのか? 友達の前でも悪口を言う。 ホントだよ、けしからんわ。 私は本当に杓子定規で、カタブツだったんだな。 別の友達は、 悪口言えるあなたのがこっちも楽だよ、だって。
思索。 · 06日 8月 2017
もっと他に書きたい話題が浮かんだが、乗りかかった船なので、一昨日から書いている「myヘアスタイル考」を続けてみよう。「乗りかかった船」?「乗りかかった舟」?調べてみなきゃどちらのフネが正しいんだかわからないが、私って「乗りかかったフネ」がとにかく好きだな・・...